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「スリランカを通して見た日本」
ラヒル・ダルシャナ (スリランカ)

 私は日本へ来て今年で4年目になる。この4年間、私は学生、大学生と言う道を日本社会と一緒に歩んで来た。その道を歩む中で私はさまざま経験をした。そのさまざまな経験の中で「これでいいのかなあ」と感じたことを改めて考えてみたいと思う。もちろん、20年間スリランカと言う社会の中で育った私であるからスリランカ社会と日本社会を比べることも多いと思うが、とにかく「ちょっと変だな」と感じたいくつかのところを紹介したいと思う。
  まず日本の食生活について述べて見よう。当然のことであるが、日本はお米を主食とした国である。現在もそれは変わらないのであろうが、将来日本の食生活がどうなるかを日本人がどう考えているか、が問題であると私は思う。と言うのは、最近のレストランや居酒屋に行くと出てくるメニューの中に日本食が少なくなっているからである。具体的に述べると、半分以上の料理名はカタカナで書かれている。日本の料理の名はほとんど漢字やひらがなで書くのが普通であろう。しかし、先に述べた通り、最近では料理名がカタカナで書かれている場合が多い。これは料理名の書き方を変えたのではなく、食事そのものが変わったと言うことを意味している。つまり、最近日本人は外国の食事を食べることが多くなってきたと言うことである。また日本の若者に「一番好きな食べ物は何ですか」と質問すると、ほとんどの若者が同じ答えをする。それは、スパゲティ、パスタあるいはピザである。また子供や若者には食事をする時マヨネーズやケチャップが欠かせないものになっている。ここで私はそう言う外国の食事は悪いと言っているのではなく、日本人の体に合わないと言うことを強く言いたいのである。食事と言うものはその生き物が住んでいるところを中心として自然に決められているものであろう。私達がその自然の決まりを勝手に変えようとすれば、その結果は良くない場合が多い。この食生活の変化の背景には経済的な豊かさ、西洋化と言う原因もあるように思う、また最近、日本で増えている原因不明の病のことも合わせて考えると、日本人はこの食生活について改めて考える必要があると私は考える。
  また、日本人の近所付き合いや人間関係も意外だと感じたことの中の一つである。人間と言う生き物は一人で生きることは不可能だろうと私は考えている。つまり、お互いに助けたり助けられたりして生きていくのは普通なのでである。例えば、精神的な問題や経済的な問題が起きた場合、他人の助けを求めるのが私が育ったスリランカの社会においては普通である。その為には自分の周りの人々と仲良くする必要がある。我々が住んでいるところの周りの人間と仲良くすること、つまり、近所付き合いは私にとってはとても大切なことなのである。私は一人っ子で私の両親は現在スリランカに住んでいる。やや年をとった両親を国に残して、遠く離れた外国で勉強していると心配なこともたくさんある。しかし私の場合は、近所の人々が両親ととても仲良くしているのでとても安心である。いつも誰かが私の家に来て両親と話したり一緒に食事をしたりテレビを見たりしてくれている。また私の友達もよく家に行って両親と喋ったりしてくれている。私もスリランカで家の周りの皆と仲良くしてまた友達を大事にしたことの大切さを感じたのは日本へきてからである。私また両親はそのような良い人間間系をスリランカでしていたからこそ現在安心して日本で勉強をすることは可能になっている。ここで私は言いたいのは日本ではそう言う良い近所付き合いが見られないということである。私は日本の年配の人とこのことについて話したことがあるが。その方の話によると、何十年前に日本でもそのような近所付き合いがあったそうだ。しかし、経済的な豊かさと仕事の忙しさが近所付き合いや友達関係を薄くしていると考えられる。問題はここで出てくるのである。人間は豊かになったあるいは忙しいと言う物質的なことを理由に基本的な人間性を忘れても良いのであろうか。そして次第にそう言う人間性の一部を忘れて行くような人間の未来はどうなるのであろうか。また、そう言う人間が増えていくことが、今でさえ矛盾の多い世界がますます矛盾したものになってしまうと言うことにもつながるのではないかと私は考えている。
  次に、私が見た日本の親子関係について述べてみよう。ここで私は特に言いことは、親に対する日本の若者の態度が変わりつつあると言うことである。これは、残念なことである。年配の方に話を聞くと、三、四十年前の日本の若者は自分の親をとても大切にしていたそうである。親を大切にしたと言うのは、おそらく、親と良く意見を交換し親の意見に反対せずに親に対して尊敬の念をもっていたと言うことであろう。しかし、現在の状況はどうなっているであろうか。どれ程の家族にそのような良い親子関係が見られるであろう。おそらくいくつかの家族にしか見られないだろうと言うのが私の意見である。ここで単純な例を挙げてみよう。私の友達の、ある18歳の女子の話である。昨年の夏休みに彼女が北海道へ一週間の一人旅をしたのである。ちょうど、彼女が旅に出る三日間前に私は町で彼女に偶然あった。久しぶりに合ったと言うことでどこかでコーヒでも飲もうと言うことになり、近くの喫茶店で一緒にコーヒを飲んだのである。その時、私は彼女が一人旅に出ることを聞いた。スリランカの社会においては女の子が一週間一人旅に出ると言うことは考えられないことであり、私はとても驚いた。そして、私は驚いた表情で「あなたの親は賛成ですか」と彼女に聞いた。答えはやはり「親はすごく反対している」と言うことであった。そこで、「どうして親の意見を無視するのですか」と彼女に聞いてみると、「旅に出るのに自分がアルバイトで稼いだお金を使うので親には関係ない」と言うのが彼女の答えであった。もちろん、これは一つの例に過ぎないが、しかし現在日本ではこのようなケースが数多く見られるようになっている。そこで、この現状の原因を私なりに考えてみたいと思う。ここ数十年の状況を考えてみても、さまざま原因が見つかるが、その中でももっとも大きな原因として私が考えているのはアルバイトである。すなわち、日本の高校生や大学生がアルバイトをして稼いだそのお金で必要なものを買い、また遊ぶために使うことが問題だと思うのである。17歳と言えば、物事をそんなにも良く分かっている時期ではない。ではそう言う時期にある程度のお金が手に入ると、自分が親から独立したような気分になると言うことは驚くことではない。そして独立すると言う意味さえもはっきりと理解できない時期に自分がもう独立したと思い込むと親の意見を尊敬するどころか聞きもしないと言うのは当たり前の話であろう。したがって、子供の頃お金が手に入るのは親子関係の問題をはじめ、多くの問題の原因になると言うのが私の考えである。ここでスリランカの親子関係はどうなっているかを述べてみたいと思う。スリランカの親子関係も100パーセント良い状態であるとは言えないが、日本の親子関係と比べて見るとよほど安心できる状況である。ではその背景を見てみよう。スリランカでは基本的に、教育を受けている者つまり学生を仕事に雇うことは法律上、禁止されている。またスリランカではアルバイトはあまり盛んではないこともあって、学生や未成年者が仕事をすることはめったにない。スリランカでは20歳ぐらいまで勉強するのが一般的な流れになっている。しかし、経済的にも苦しい状態が続いているスリランカでは子供に20歳前後まで教育を受けさせると言うことは親にとってはとても大きな負担であるのは事実である。だから親は子供に教育を受けさせるために一生懸命働いてお金を稼いでいる。子供が3人いる家族では親が自分のことを全て忘れて子供のことだけを考えて働いている。親が新しい服や靴を買うことはめったにないほどである。親がこれほどまで頑張って自分の為に働いている姿を見ていれば、その子供の心の中で親に対しての感謝の気持ちが生まれるのも当たり前のことであろう。日本ではあまり見られないのはこの子供の親に対する感謝の気持ちである。感謝の気持ちが薄くなると尊敬も薄くなっていくのも言うまでもないと私は思う。失なわれつつある日本の子供の親に対する感謝の気持ちや親に対する尊敬を取り戻すためにスリランカの親子関係から何か学び取れることがあると私は考えている。それ一つとして、法律上、アルバイトをできる年齢を引き上げることである。そうすることで、未成年者の手にお金が入るのを少なくすることができ、その結果、彼らは親に頼るしか方法がなくなる。それをきっかけに日本の親子のつながりが少しでも強くなるのではないかと私は考えている。まだ手遅れではないがこのままほっとくと状況がもっと悪化するのではないかと私は考えている。したがってこの対策を急ぐ必要があると思う。
  最後に今までとは少し異なる視点から述べてみたいと思う。それは、日本独特のものと言っても言いすぎではない自動販売機についてである。私は一昨年、富士山に登ったのだが、驚いたことに、富士山の頂上にいくつかの自動販売機があった。もちろん、自動販売機はとても便利なものである。しかし私がここで述べようとするのは自動販売機の便利な面についてではなく自動販売機が原因となって出てくる環境問題に関するいくつかの問題点についてである。日本に自動販売機が約800万台あると言われている。使用電力の合計は約100万キロワットだそうだ。言いかえれば、大型の原子力発電所1基分を使用していることになる。ここで考えて見よう。誰も使用せずに一日中、エネルギーを無駄にしている自動販売機も多くあるだろう。また、誰かが使っているとしても、小数であることもある。エネルギーや資源と言うものは一つの国のものではなく全世界のものである。先進国であるからと言って限りあるのエネルギーや資源を無駄にし、使い切るのは不公平であろう。また、自動販売機の廃棄物問題も深刻になっている。使用済みの自動販売機を中国やマレーシア、タイ、シンガポールに輸出しているが、それは問題解決にならないであろう。私がここで言いたいのは、日本は自動販売機の数を減らすべきであるということである。使用者が少ない自動販売機を減らすなりリサイクルするなりして、将来起こりうる深刻な環境問題を防ぐ努力をするのが日本の義務であると私は考えている。



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