一般財団法人 京都国際文化協会(Kyoto Intemational Cultural Association)
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「日本のお風呂と私」
ターンブル・サラ(英国)

 お風呂に関して、日本とイギリスは随分違う。形、利用回数、入浴方法など、様々な点でイギリスと日本のお風呂は異なっている。利用回数や「お風呂」へ対する価値観を比較するだけでも、その相違点が浮き彫りになる。イングランドの女王、エリザベス1世のお風呂にまつわる俗話はこの価値観の違いを説明するのに良い例であろう。彼女は、「私は一年間で一回お風呂に入るわ。例えそれが必要ない時でもね」と言ったと伝えられている。
  近年のイギリス人はもちろん、かのエリザベス女王より頻繁にお風呂を使用するが、日本人のお風呂の利用回数からすると微々たるものである。この根本的な原因は日本とイギリスの気候の違いである。例えば日本の夏はジメジメと蒸し暑く、汗を掻きやすい。人はそのべっとりとした汗を、さっぱり洗い流すためお風呂に入る。その結果、お風呂を利用する回数は必然的に高くなってくる。逆にイギリスの夏はカラッとして湿気を感じさせない。そのため汗を掻くことがあまりなく、汗を洗い流す必要がないのである。
  風呂釜の形もその国民の“お風呂慣習”を現している。イギリスの風呂釜は細長く、深さは約30センチある。一方で、日本のお風呂はどんなに狭くても、50センチほどの深さを持つ。これは、風呂釜の利用の違いのためである。イギリス人は風呂釜の中で身体を洗う習慣があるため、浅い方が適しているが、日本人は身体をきれいに洗いお風呂に入るため、ゆったりとくつろげるよう造られている。
  これは随分と昔の話になるが、入浴方法の違いのためにカルチャー・ショックを受けたことがある。私が日本に興味を持ち始めた頃、日本人特有の入浴方法について本で読んだことがあった。そのため、初めて来日した時も難なく滞在ホームステイ先のお風呂に入ることができた。ところが、生粋の江戸っ子の様な足取りで向かった銭湯で、私は今まで経験したことのない強い衝撃を受けた。軽い足取りで暖簾をくぐり入ると、なんと、周りにいる人は皆裸ではないか。私は唖然とし、どうしていいものか分からず、ただおどおどと困った。イギリスでは、自分の体はほとんど他人に見せないものであるが、ましてや恥ずかしがりやの日本人が、こうも堂々と裸体をさらけ出すとは考え難いものであった。しかし、私もイギリス人である。おめおめと逃げ出すのはプライドが許さない。堂々とした足取りで浴室に入り、体をきれいにしてから湯船に入った。日本人が恥ずかしがり屋だというのは、イギリスではロンドンの地下鉄内を走り回る子ネズミでさえも耳にしたことがある。しかし、百聞は一見にしかず、日本人には本当に驚かされた。
  外国で生活すれば、その国の文化はもちろんのことだが、母国についての自分勝手な認識も増えてくる。これは自分の中の母国と実際に経験する外国との比較から生まれる産物である。そのため、実際に帰国し、母国を目の辺りにすると、以前まで自分が暮らした場所が全く違ったものに映る。自国文化の再発見である。私は大学を卒業した後大阪で英語教師として働き、2005年まで滞在した。その後、一時帰国したが、私の価値観はイギリス人から少しずれたものになっていた。特にそれが見受けられたのがお風呂の習慣であった。私はいつも通りお風呂に入ったつもりであったが、お湯が足りない気がした。再度お湯をたっぷり入れ入浴するが、お湯はこぼれ落ちるだけである。深さが明らかに浅いのである。その上、お風呂の形が細長いため首が痛くなる。しかし私を戸惑わせたのはそれだけではなかった。私はお風呂の中で体を洗うことが嫌になっていた。馬鹿馬鹿しいとさえ思えた。日本に行く前は、全くそんなことはなかったのに。
  バスルームを濡らすなと母に怒られ、細長いバスタブのため首を痛めながら、私は初めて自分の文化を外から覗き見ることができた。お風呂で自国文化を再発見するなど、私らしいと思え、おかしかった。しかし、この発見は、私が「純粋なイギリス人」でなくなったことを物語っていた。それは私の家族が来日した際にはっきりとしたものとなった。母や祖母を温泉・銭湯に誘ったが、イギリスで暮らしている彼女達にとって、皆の前で裸になりお風呂に入るのは恥ずかしく、到底容認できるものではなかった。しかし、私にとってそれはとても滑稽で、愚かにさえ映った。母や祖母の来日から一時が過ぎ、父が私を訪ねに日本にやって来た。しかし、”お風呂”が父に与えた衝撃は母や祖母のケースよりもさらに複雑であった。
  私は、私のボーイフレンド(日本人)と彼のお父さん、そして私の父4人で熊本・阿蘇山を展望しに出かけた。時は正月で山には分厚い雪が積もり、手がはしかにかかるくらい寒かった。そこで、彼のお父さんは、温泉に寄って暖まって帰ろうと言い出した。前に説明したようにイギリス人は他人に裸体を見せるのを恥ずかしがる。イギリスの男性の間では特にこの習慣が強い。逆に恥ずかしがらないイギリスの男性は、男好きだと思われる。特に父の世代の男性は他の男性と一緒に裸で入浴するなどあり得る話ではない。ここで、私の父の戸惑いと困惑を想像してほしい。彼は初めて合った娘のボーイフレンドの父親から、男三人でお風呂に行こうと日本語で誘われ、どう返答してよいのか分からず、「ウー」とだけ呟いていた。私は彼の心境を理解し、「昔々、父の先祖であるスコットランド人の子供達はお風呂に入らず、冬を過ごしたものです。それはスコットランドの寒さが厳しく過酷であったため、抵抗力が低い子供達は病気に罹り、死ぬことが多かったためです。そのため、今でも冬の時期になると彼のスコティッシュとしての血がお風呂を避けようとするのでしょう。」と説明した。この話を聞いた彼のお父さんは私の言いたいことを理解し、「なるほど、まるでエリザベス一世みたいだな。さすがイギリス人、変わってるな。」と笑い飛ばした。なんとか、温泉騒動は収まったが、ボーイフレンドの父とガールフレンドの父が一緒に温泉に行くことは、父にとって驚くべきカルチャー・ショックであった。しかしそれは、私の父が一緒に温泉に行きたくないと理解した、ボーイフレンドのお父さんに対してもカルチャー・ショックではなかったのか。
  現在、私は京都に住み、毎日近くの銭湯に通っている。お風呂で裸になるのはもはや当たり前の沙汰であるが、未だに恥ずかしく思えることがある。それは、私の顔・腕・体が真っ赤になることである。まるで赤鬼のように。その赤さは日本人の“お風呂焼け”とは異なっており、昔、外国人が赤鬼と呼ばれた意味が少し理解できた気がする。かといって、うれしいことでもない。だが、良い話題付けになるのは確かで、銭湯で回りの人と話すチャンスがある。そのおかげか、関西弁を話すことに少しずつ慣れつつある。中でも「ホンマによかったわ。」は頻繁に使用するようになった。また、彼氏の話し口調から覚えた男っぽい言葉ばかりしていた私にとって、女性らしい言葉を覚えるきっかけ作りにもなった。このように、「お風呂」は身近で毎日利用するものであるが、新たなきっかけや発見を生むことがある。例えば最近こんな出来事があった。
  お風呂に入り、落ち着くと、一日の考えやその日の出来事を整理することができ、その時は気づかなかったことに改めて気付いたりする。銭湯を利用するうちに私の研究テーマを好きなお風呂と関連してみてはどうかという考えが浮かび出した。始めは、馬鹿馬鹿しいと思ったが、次第に日本人の生活習慣をもっと詳しく知るチャンスではないかと思い始めた。このひらめきは私に新たな発見と興味を与え、私の研究を促進させるきっかけとなった。
  少しだけレポート的になるが、私の研究テーマを説明したい。興味が許す限り読んでいただければ嬉しい。ちなみに私が専門分野とするのは環境問題である。この分野では「Sustainable」がキーワードである。「Sustainable」とは経済、社会、環境の調和を図った社会の仕組みのことである。経済発展や景気回復だけを念頭に政治が行われると環境は悪くなる一方である。そのため、世界中の国、民間企業や研究機関などは「Sustainable」な社会をつくることを注目されている。私はこれを日本のお風呂に焦点をあて考察してみることにする。
  住宅のお風呂、銭湯、温泉を金銭面で比較すると、温泉が最も高く、住宅のお風呂が最も安いことがわかる。そのため、家でお風呂を使うことは経済的に理に適っている。だが、地域社会の面から考えると少々見方が変わってくる。温泉、特に銭湯は遠くからはるばるやってくる人より、地元の人間が多い。また、中での交流も多々あり、一種のコミュニティーセンターみたいなものになっている。私も、近くの銭湯に行くが、来客のほとんどが近所の人である。またおもしろいことに、これらの人の多くが商店街で店を開いている。私は普段、駅近くの大きなスーパーで買い物を済ませることが多かったが、銭湯で知り合いができてからは商店街で買い物をすることにした。買い物をする時お風呂の知り合いが気軽に声を掛けてくれ、自然に笑みがこぼれる。夜は銭湯で話し、私と地域をより一体感のあるものにしてくれる。このように、一見温泉や銭湯はお金が掛かるだけのように思われるが、地域社会と人とをつなぎ、小経済を発展させる上で大きな役割を担っていることがわかる。銭湯や温泉に行くのは少々高いが、ローカル経済・社会に対して少なからずプラスになっているのではないだろうか。
  次に、研究のキーワードである「Sustainable」に大切な環境面を念頭におき、自宅の風呂、銭湯、温泉を比較してみる。すると水の量、水を温めるエネルギーの量の二つが挙げられる。水の量を比較すると、家でお風呂を入れる方が銭湯、温泉で消費される水の量と比べはるかに少ない。そのため、自宅の風呂を使用する方が水の使用面で環境にやさしいと思われる。かかるエネルギーの点のみで比較すると、温泉の方が環境への影響は低いと考えられる。温泉の湯は自然地熱により温められるため、自宅や銭湯のように二酸化炭素を排出し加熱する必要はない。
  しかし、実際のところ、温泉は家庭の近くにはないことが多く、移動手段に車を使う人が多い。そのため、交通手段のエネルギー消費も加えると、温泉が環境にやさしいとはいい難い。また、太陽電池で自宅の熱水を作る家も見られるため、統計的に考えても、自宅でのエネルギー浪費が最も低いであろう。だが、この問題をさらに深く理解するためには、さらなる「お風呂」研究が必要になるであろう。私は銭湯でシャンプーをしながら、「この研究は私にぴったりんちゃう?」と何度も試行錯誤、研究法やその調査対象になるカテゴリーについて考えたことがある。だが、シャンプーを流し、タオルをターバンのように巻いてお風呂の温かい湯に抱かれてしまうと、湯の温みで、夢心地になってしまうのが現実だ。
  もう一度、私にとって日本のお風呂がどんなに重要なものとなったか改めて述べたい。まだ、銭湯を試したことのない外国人、また、私の視点で銭湯・温泉を体験してみたい日本人の方、たまにはお金を気にせずパーッとお風呂でのんびりしては。エリサベス一世が「お風呂に入りたいわ」というようなめったにない珍しい発見が生まれると思う。また、外国人の感じた「日本文化」というものを見つけることができるかもしれない。
  私は日本人の温かさと日本の湯の温かさのおかげで、言葉、習慣、方言、コミューニテイなど本当に数えきれない発見ができた。これからも私には日本=銭湯の方程式が成り立つであろう。最後に、ここでのエリザベス1世のまつわる俗話の形を借りて、「私は一年間で三百六十五回お風呂に入るわ。たとえそれが必要ないときでもね!」と言って終りたい。



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