一般財団法人 京都国際文化協会(Kyoto Intemational Cultural Association)
ホーム 協会のご案内 基礎から学ぶ日本語教育講座 KICAセミナー にほんごきょうしつ エッセーコンテスト 国際茶会 イベントカレンダー

KICAのプログラム
Facebook
Facebook
〒606-8536
京都市左京区粟田口鳥居町2-1
京都市国際交流会館3F
TEL.075-751-8958/FAX.075-751-9006
 kica@kicainc.jp
URL:http://kicainc.jp/
休館日:月曜日
ご入会のお願い
アクセスマップ

エッセーコンテスト 過去の入賞作品

「私は内部に入っても大丈夫?」
グラベンダー・クリストファー(米国)

 12才の時から、ずっと日本に住みたいと思っていました。それは、単なる夢では無く、情熱でした。そのため、中学校時代から日本語の勉強を始め、続けて高校でも勉強しました。高校時代、先生が夏休みに日本への旅行を計画していると知り、期待に胸を膨らませたのを覚えています。しかし、他の生徒は興味が無く、結果として旅行はキャンセルになってしまい落胆したのを覚えています。母に武道を勉強したいと頼み続け、20才になってようやく武道を習うことを許されました。そして、大学在学中にも日本語の勉強と両立しつつ,時間のあるときなどに武道に励みました。
  大学の卒業とともに教員免許を取得し、JET PROGRAMME(ジェットプログラム)に合格して福島県会津若松市に行くことが決まったときの私の喜びを想像してください。 日本の文化や歴史、言語などを勉強した甲斐あって日本で隣人と交流ができる、と想像しただけで本当に嬉しくなりました。言うまでもなく,日本での仕事が教員免許を取ったばかりの私の、初めての仕事でした。喜びと緊張を胸に抱き、日本の中学校での仕事を始めることとなりました。
  ですが、私は最初の一年目から、理想として描いていた日本の生活とはまったく違った様なことが、当初、感じていた興奮や楽しみという気持を、次第に不満や後悔にという気持ちに変えていったことに気がつきました。それら私が経験した多くのことは、他の国々では差別(ある文化を他の文化から完全に別離させること)として見なされていることでも、日本では普通に受け入れられているのです。このようなことが、本当の意味で私が日本の“内部”に住むということを許さなかったのだと思います。
  いくつかの違いは、すべての非日本人にあたりまえのように起こるため、ほとんど目に見えません。例を挙げると、私の隣人の「箸の使い方を知っていますか?」や「寿司を食べることができますか?」といった驚きを含んだ質問や、おそらくは励ましの言葉である「あなたの日本語は、上手ですね」といった一言です。「外人は日本の生活に馴染むことができないと思っていた」と言われたことや、私が日本人と同じように、日本人らしいやり方で生活することができるということに驚かれるまで、隣人がそのような質問をするのは彼らが私のような外国人と交流した経験がないからだろうと感じていました。
  目に見える違いもありました。
  日本で生活していたある時、学校の教員会議に参加しようと試みました。しかし、私の参加は認められず、その理由というのが私は学校の正式な教員ではなく、教育委員会の職員だからというものでした。しかしながら、私は当時、ほとんどの勤務時間を学校で過ごし、教育委員会には月に一度しか出勤していませんでした。
  他の教員と飲みに行ったある夜、仲良くなった一人に「会議に参加したいな」と言いました。彼は親しげに私の肩に手を置き、「会議は退屈だから、教育委員会のことを言い訳にして会議には出席しないほうがいいよ」と笑いながら返事をしました。その後すぐに、お酒を片手に持った先生が会話に割り込んできて、私が会議に出席したとしても、手助けにはならない、と言ってきました。彼の言い分として、私はアメリカの教員免許を取得しているものの、日本の免許は持っていないので、私が日本の教育についてよくわかっていないからだ、ということでした。また、その先生は外人が会議の場にいるとグループの“和”を乱すからだ、とも言いました。彼の意見は、こっそりと我々の会話に聞き耳を立てていた副校長の支持をも得ました。仲の良かった先生に助けを求めましたが、彼は首を垂れ、罪悪感を感じていたのか、私に背を向けていました。
  その出来事は、私にショックを与えました。約一年の間一緒に仕事をし、当初、私が“単に英語を教える仕事に就いた外人”ではなく、実際の教員という事実に喜びを表し両手を広げて歓迎してくれた彼らが、密かに私に対して「日本人ではないので日本の学校のことが分かるわけがない」という“本音”を隠していたのです。残念ながら、彼らの示した“建前”と“本音”の例は、「日本人ではない人間は日本文化を理解することが不可能であり、よって彼らは日本社会にとって利益がない」という、広く社会に浸透した意識を垣間見せてくれました。
  日本では、“建前”が人との和を維持していくために使われることは知っていました。たとえ、建前を使うことがアメリカでは無礼に値し、すべての関係を終わらせてしまう理由になり得るとしても、自分に「私は、今日本にいる。そして建前を使うことは、ここではあたりまえなのだ」と言い聞かせていました。しかしながら、建前が日本文化の一部だとしても、あの夜起こった“建前”事件によって、私はここには属していない人間ではないか、といった疎外感を同僚から感じるようになりました。また、自分が何か彼らを動揺させるようなことを言ったのかと思い、その反面、会津以外の地域では“建前”はそんなに使われていないのではと思いました。
  4年目に、別のJETの仕事で会津の外に引越しをしました。その仕事には、私の他に近くの町に住み、経験豊富で熱意のある素晴しい女性の教員も応募していましたが、正直、私が選ばれたことは驚きでした。その仕事を始めてすぐに、どうして彼女ではなく私が選ばれたのかということを、上司に尋ねましたが、彼が言うには、そのオーストラリア出身の女性教員は頻繁に飲酒をし、露出度の高い洋服を着ていたため、町に、そして特に教育委員会に恥をかかせたからだという理由でした。よって、町では今後オーストラリア人および、出身国は関係なく外人女性教員は雇用しないという決定を下したそうです。
  私は、たった一人の一度の無責任な行動が、ある文化の全体のイメージを破壊してしまったことに大変驚かされました。町は、外人女性教員という姿を、一個人の行いを元として作り上げてしまい、そのせいで他の関係ない多くの人間も、町(の社会)から除外されることとなってしまったのです。また、このことは私が日本生活の最初の三年間で経験したことに類似していると気づきました。言い換えると、これらの出来事は、日本人ではない人種を日本文化の“内部”に入り込ませないのが最善だという、圧倒的な考えを表しているように見えました。
  日本は集団社会です。日本について勉強し、ここに住んだことがある人なら、集団に属するということは日本文化の本質であり、人々はどのグループに属しているかによって区別されると言うでしょう。日本で、初対面の人に会って自己紹介する場合、ただ単に名前を言うことは絶対にせず、「~~所属の/出身の~~です」といった紹介をすると思います。すなわち、名前だけでその人を判断するのではなく、どこの会社でどんな役職に就いているかといった要素によりその人を見極めようとします。この考えは、日本に住む非日本人には適用されていません。なぜならば、私たちはすでに“外人”という集団に入れられてしまっているからです。そして、日本に存在する他の集団と同じように、誰であろうが関係なく、その集団に属する一個人が、集団全体の代表となってしまう時があります。
  最近、北海道で起きたミートホープ社の問題は、この事柄を表す良い例だと言えるでしょう。現在、問題の会社の代表である田中社長は、人々を騙し、不正を行いそして偽りを述べたと社会では見られていますが、彼が会社の代表である以上、その会社で働くすべての人は彼と同じように見られています。しかしながら、あなたがもし、毎日汗水たらして働き、社則に従い、会社のために最善のことをしてきたミートホープ社の従業員の一人だったとしたらどうでしょう? 会社で一体何が起こっているのか、まったく見当がつかなかったというのに、田中氏の下で働いていたという理由だけで見知らぬ人から嘘つき呼ばわりされたらどう感じますか?
  最近、インターネットで不動産を購入し、家族のために家を建築したいと願っていた静岡県の男性についての記事を読みました。しかしながら、その購入予定地がある地域に住む住民が、男性がブラジル人の血が入っているという理由で、彼が夢を実現させるのを阻止しました。住民の言い分は、もしも彼らが男性がそこに家を建てるのを承認すれば、「近所に犯罪を呼び寄せてしまうことになる」と恐れたからです。男性が、怒りを鎮めるために住民と話をしようと試みましたが、住民たちは会話には応じず、彼らの土地と生活からその男性を完全に追い払ってしまったのです。住民たちは、日本で罪を犯し、国へと逃げていった幾人かのブラジル人の姿を、その男性の姿と重ね合わせてしまったのです。ここは日本であり、そして彼は完全な日本人ではなかったために、彼は自動的に“非日本人グループ”、さらに正確には“ブラジル人グループ”に放り込まれてしまったのです。たとえその男性が、罪を犯し母国へ逃げていったうちの一人ではないにしても、幾人かの日本人が彼を“ブラジル人グループ”のメンバーだと位置づけたため、彼は排除されてしまったのです(Racism)
  皮肉なことに、1999年に実際に国へ逃げ帰ったある男性は、「彼は日本における差別を恐れて逃げた。日本人の血を引く外人の出稼ぎ労働者は、激しく差別されているからだ」ということでした。(Jordan)
  国際化に向かうのを強く願っているこの日本で、日本人ではないからという理由だけで、外国人が排除されるのは想像しがたいことです。しかしながら、このような出来事は日本国内で頻繁に起こるものでなく、日本人と外国人が調和を守りつつ一緒に生活している例は数多くあります。
  静岡県、磐田市の地域活動では、当初、地元のルールや礼儀に従わない外国人が流れ込んでくるのを憂慮していました。しかし、外国人の居住を禁止する代わりに、地域活動の運営を外部に開き、元来の日本的な考えと共に国際的なアイディアや感覚を取り入れるようにしました。 加えて、外国人の住民に地震が起きたときなどの緊急避難訓練、応急処置法を教え、また祭りやスポーツイベントなどで、指導者としての役割を果たすことも認めました。 (AROUND)
  名古屋では、様々な産業に多くの外人労働者が流入したため、日本語以外の言語での行政サービスが必要となりました。しかも、そういった多言語でのサービス提供だけではなく、豊明市などでは愛知教育大学の生徒が、ボランティアで就学児童に日本語を教えています。(NAGOYA)
  また、多言語での相談、外国人のための日本語教室、地元コミュニティに国際化について教えるお祭りやイベント、日本人及び外国籍の人々にその他無数のサービス提供を行う様々な国際交流協会が日本中にあります。
  しかしながら、“国際人居住者”の受入に伴うサービスが増加してきているとしても、反対に国の焦点が、“国際人居住者”を排除する方向に移行しつつあるという問題があります。最近の例として挙げられるのは、留学生を複数のスポーツ大会から締め出そうとする動きです。これは全国高校駅伝の見物人が、学校が優れた“外人”の走者を駅伝大会の第一区を走らせていることに対して苦情を言ったために起こりました。外人の走者が第一区を走ることにより、日本人選手がテレビに映らなくなり、大会がつまらないものとなってしまったというのです。その苦情は、卓球やバスケットボールなどの競技をする外人学生までもが対象となり、結果として、駅伝において外人選手に対する規制、外人バスケットボール選手の試合出場の規制、そして、サッカーでは複数の外人選手が試合中、同じフィールドに立てなくなりました。
  朝日英字新聞は、「高校体育連盟のスローガンは“もしも彼ら(外国人選手)に勝てないのなら、彼らの出場を禁止しよう”」という引用を使い、この差別に対してコメントを発しました。(Groups)
  現在の、国際交流協会での仕事の一部として、一ヶ月に一度、幹事会に出席しなくてはいけません。たとえ国際交流協会という名前でも、幹事会には非日本人はおらず、たった一人の外国人である私の意見や考えは、私の同僚だけではなく、幹事会のメンバーにも発言するのを思いとどまるよう言われました。最近、幹事の一人に、非日本人は「意見を強く言い過ぎる」と言われ、それはグループの和を乱すこととなるので、避けるべきだと告げられました。
  最近人気が出たお笑いのタカアンドトシは、最後の例です。彼らの漫才芸の流れとして、タカが予想外の行動をして、賢い相方であるトシに頭を叩かれます。彼らの人気が爆発したのは、タカの“間違った”行動は、日本では、アメリカ・イギリス人や彼らに関係することを表す“欧米”を現しているからです。簡単に言えば、タカは“欧米”的な行動をし、相方のトシに、それは日本人らしくないといって頭を叩かれます。彼らは、現在日本でもっとも人気のあるお笑いコンビの一組であり、日本中の子供たちが“ばか”な人を呼ぶのに“欧米化”という単語を使うようになったことに一役買っています。
  訪日する前、私はこの社会の役に立ちたいと思い、多大な時間を日本について勉強し学ぶことに費やしました。しかしながら、日本に到着したその日から、外国人が排除される根本的な理由を探し、どうにかして日本人と非日本人を一つにすることが出来る何かを発見できないかと願うことに、さらに多くの時間を使ったことを覚えています。 最初のJETの仕事をしていた時、地元の公民館で大人のための英会話教室を教えることになりました。ある男性は、“外人”という単語の使用に対して毅然とした態度を持っていました。彼は、日本人ではない人に対して、その言葉は否定的で軽蔑的な意味を含蓄していると信じていたからです。その代わり、彼は“外国人”という言葉を好んで使いました。日常的にすべての日本人よって使われる、その二つの言葉に対する彼の強い信念は、私にその二つの言葉が、非日本人に対するこの国の認知・理解にどのような影響を与えているか、という課題に答えを与えました。
  外人と外国人という二つの単語は、どちらも“外”の漢字から始まります。集団の“内部”に属するということが社会全体の成功に必要不可欠な、この国の文化の中では、“外部”のグループが存在するということは、ぞっとすることであり、さらにぞっとするのは、そのグループは、非日本人によって構成されているという事実です。徳川時代、日本は他国に門を閉ざしていたため、集団に属するということは“生活”するということでした。徳川時代から約140年経ちますが、意図的なのかそうではないのか、まだ日本には外の世界や他国から日本にやって来た人々と自身を隔離するという、140年前と同じ考え方を持つ人間が大勢います。
  この国の多くの非日本人が、優れた教育システム、美しい自然、非常に低い犯罪発生率、そして人々が調和の中に共存できるという理由でこの国にやって来ます。しかしながら、その要素は、私たち非日本人が本当の意味で国の“内部”に住むことを許されないのであれば、経験できないことでしょう。多くの人々が日本に渡り、税を払い、一生懸命働き、そしてすべての隣人と仲良く交流を深めていますが、その数は年々増加しています。彼らは、日本の“内部”に住み、日本の学校、会社、他のビジネスの“内部”で働き、文化の“内部”に住むことができるよう、努力をしています。しかし、それでもなお徳川時代からの排他的な考え方のせいか、それとも非日本人グループのイメージを破壊し、悪くする少数の無責任な人々のせいなのか、日本社会の前進のため懸命に役割を果たしている非日本人は、まだ“よそ者”と考えられています。
  言葉には驚くべき力があります。人の心を変えること、戦争を始めること、平和にすること、失恋・絶望を癒すこと、そして、差別を永続させることすら可能です。二十一世紀の日本には“外国人”という言葉ではなく、“国際人”という新しい言葉が必要だと信じています。どちらの言葉の意味も、その人が日本人ではないという考えを含んでいますが、しかしながら“国際人”という新しい名前は、“外部”という考え方が一般に普及するのを阻止するでしょう。また、日本人ではない人々が日本文化、そして日本の民衆の心や、考え方の中に入っていくことを認めていくと思います。
  現在の仕事において発見し始めたことは、世界のあちこちから来日し、ここに住んでいる人々というのは日本が国際化に向かっていく過程に参加しているということです。なぜなら、多くの日本人にとって、彼らとの交流だけが国際的なコミュニティを覗くことのできる窓だからです。しかしながら、私たちが交流しようとするどの人の考えの中にも、もうすでに外国人を別離するという考えが存在しているので、私たちに“外部の人”というラベルを貼ってしまうことは、交流をさらに難しいものとしてしまいます。国際化に向かう過程で、日本人が実を結ぶ手助けをするには“国際的”にならなくてはいけません。
  私としては、先述の静岡県の男性がもしも“外部”の人間ではなかったら、日本人の新しい隣人の家の隣に彼の家を建てることができたでしょう。もしも、非日本人というラベルが外国人選手に貼られていなければ、彼らが高校でスポーツをすることに、こんなにも不満の声が上がったでしょうか。もしも我々が“よそ者”ではなく“国際人”として認識されていたら、私たち非日本人は外人として見られることはなく。日本の一部として日本人の友達とともに生活や仕事をすることが可能でしょう。さらに、もしも多くの日本人が“国際的”になると、どうなるでしょう? 結果として、日本人と非日本人を近づけさせ、すべての人が“内部”に一緒に住むことが認められるでしょうか?
  今がまさにそのときです。国際社会は日本という隣人と平和で調和のとれた交流をするため、長い間時間を費やしてきました。まず一番最初に取り組まなくてはいけない問題がいくつかあります。それらは、罪を犯し、国を去った犯罪者、無責任な個々人、言語の違いなどですが、これらの問題を解決するのは可能です。すべての人が目指すゴールは同じで、平和と調和が存続した中で生きることであります。しかしながら、特定のグループの人々が排除されてしまうと、その存続は難しいでしょう。今、日本は“内部”と“外部”文化から、“国際的”文化に変わる時でしょう。
  私は結婚して、現在幼い(おさな)息子がいます。私の妻は日本人であり、私はアメリカ人です。そして、私達の息子は両方の血を引いています。私自身は、本当の意味で日本社会の“内部”に入ることを認められていないかもしれませんが、私の願いは、将来、私の息子が彼が親から受け継いだものを否定される心配する必要がなくなればということです。息子は半分アメリカ人ですが、彼の半分は日本人でもあります。その事実により、私の息子のが、他人に彼の受け継いだものを否定されて欲しくはありません。

WORKS CITED

“Racism surfaces over bid by foreigner to buy land, settle”
Asahi Shinbun (English) www.asahi.com/english 29 Jun, 2007
http://www.asahi.com/english/Herald-asahi/TKY200706290148.html


“HOKKAIDO: Meat Hope boss to declare bankruptcy”
Asahi Shinbun (English) www.asahi.com/english 12 July, 2007
http://www.asahi.com/english/Herald-asahi/TKY200707120120.html


“Groups try to level playing field by limiting foreign players”
Asahi Shinbun (English) www.asahi.com/english 29 Jun, 2007
http://www.asahi.com/english/Herald-asahi/TKY200706290152.html


“AROUND JAPAN/IWATA, Shizuoka Prefecture: Neighborhood a blueprint to harmony with foreign residents”
Asahi Shinbun (English) www.asahi.com/english 26 Jun, 2007
http://www.asahi.com/english/Herald-asahi/TKY200706260072.html


“NAGOYA: Helping newcomers adjust to life here”
Asahi Shinbun (English) www.asahi.com/english 10 Apr, 2007
http://www.asahi.com/english/Herald-asahi/TKY200704100060.html


Jordan. “Brazilian man flees hit and run for fear of discrimination”
Japan Know http://japanknow.com 25 Jan, 2007
http://japanknow.com/brazillian-man-flees-hit-and-run-for-fear-of-discrimination/

 



最初のページへ戻る このページの最初へ

Copyright(C)2008. Kyoto International Cultural Association, Inc. All Rights Reserved. 本サイト内の記事・写真・イラスト等の無断掲載・転用を禁じます 。