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「私が感じた日本」
ロイ ビッショジト(バングラディッシュ)

 はじめに:私はバングラデシュ出身の全盲である。バングラデシュでは小学校や中学校の教科書に日本についての話が書いてあり、それを読んで日本のことを知った。特に、中学校の国語の教科書に載っていた「広島が語る」というエッセイは興味深かった。これは、広島と長崎の原爆投下の話であり、読んで涙が溢れ、胸が痛くなったことを今でも覚えている。その頃から私は日本に親しみを感じた。しかし、日本に行くことができるとは夢にも思わなかった。チャンスがやってきたのは、ダッカ大学に入学してからであった。1年生の私が、「国際視覚障害者援護協会」の奨学生として選ばれたのである。迷いはあったが、周りのアドバイスと励ましで留学を決心した。ダッカ大学のある先生は、「日本人はとても親切だから、何も心配することはないよ。ぜひいってきなさい。」と言ってくれた。そして、多くの期待や不安を胸に1996年に来日した。あれから14年が経とうとしている。この間私は日本と日本人に触れ、いろんなことを学び、いろんなことを体験した。ここでは、そういったことを一人の外国人の立場から、また一人の視覚障害者の立場から述べる。

  A.一人の外国人として感じたもの: 日常生活や社会生活で母国バングラデシュと多くの相違点を感じた。そのいくつかを以下に記す。

  1.食文化:バングラデシュと日本の主食は同じく、米である。1日少なくても2回はご飯を食べたい私にとって、これは大きな助けであった。しかし、食事をする始めのうちは、戸惑いを感じたことがあった。それはお握りを食べる時で、私は包んであった海苔を剥がそうとしたそのとたん、「それも食べられますよ」と言われた。私は驚き、「日本では紙も食べるのですか」と尋ねた。料理を用意してくださった方が、「それは紙ではないよ。海苔だよ。1回食べてみて。」と説明してくれた。食べてみると私の誤解は解けた。また、初めて納豆を口にした時、その粘りけ、味、匂いのすべてに大変驚いた。それ以来、口にしたことはない。お正月に食べる数の子も思い出深い。私達盲留学生は冬休みになると、各盲学校から東京にある国際視覚障害者援護協会に戻ってくる。そして初詣に行ったり、おせち料理を作っていただいてお正月を一緒に過ごす。その時、私は数の子を口にして、「口の中が点字のようになってしまうこの食べ物は何ですか」と尋ねた。「これは数の子というんだけど、口の中が点字のようになるという表現はあなたが初めてだね」という答えが返ってきた。お正月が来るたびにこのことを思い出す。一方、日本のカレーライスを始めて食べた時、すごく甘く感じた。それは給食のカレーだったからであろう。その後、「インド人も」いやバングラデシュ人も「びっくり」のカレーライスをいただき、大好きになった。なんと3杯もおかわりしたことがある。

  飲み物のことだが、バングラデシュでは、一般的に水や紅茶(ミルクティー)を飲む。宗教の関係でお酒を飲む習慣がない。私は日本に来て間もない頃、普段通り大量の水を飲んでいたが、「日本では、生水をそんなに飲まないよ」といわれたことがあった。そして、日本のお茶を飲むことにした。しかし、苦くてなかなか飲めるものではなかった。年月がたって、今は一番よく飲んでいるのは日本茶である。お茶と同様に、ビールも初めは苦くて口にすることができなかった。しかし、「飲むとだんだん美味しくなるよ」といわれて、挑戦を続けた。今は美味しくいただいている。適当な量のものをみんなと楽しく飲むのは好きである。そして、「郷に入れば郷に従う」という言葉に合わせて、私もその楽しみを味わっていきたい。

  次は食べ方だが、バングラデシュでは食事をする時、基本的に手を使う。箸を使って食べることは想像もできない。ダッカにある私の日本語の先生の家で初めて箸を触らせてもらった。これでどういうふうにご飯を掴んで食べるのかとイメージもできず、驚きばかりだった。日本に来て、初めのうちはフォークとスプーンを使って食事をした。しかし、日本にいるからには、箸を使えるようになったほうがいいと思って、学校の先生にお願いした。先生は非常に丁寧に教えてくださったが、不器用な私はそれを体で覚えることはできなかった。私にとって、それは日本語を勉強するよりも難しく、練習を放棄したこともあった。しかし、ある出来事から私の気持ちが変わった。それは、友達と一緒にラーメンを食べに行った時のことだった。私は箸を使えないので、フォークをお願いしたところ、なんと子供用のフォークが出てきた。私は恥ずかしさと悔しい気持ちでいっぱいになり、練習を再開することを決心した。今では人並みに使えるようになったが、人生の中で一番苦労して習得した物かもしれない。

  2.入浴: 日本に来てお風呂に入った時、すごく恥ずかしく感じたことがある。それは、すべての服を脱いで、皆と一緒に入るからである。バングラデシュでは、お風呂はなく、シャワーを浴びたり、川や池などで水浴びをしたりするが、男性の場合は下半身の服を、女性の場合はすべてを着たままである。私は高知盲学校に入学して寄宿舎に入った。寄宿舎なので、お風呂も大きく、何人かで一緒に入る。脱衣場で服を脱ぐのを恥ずかしがっている私を見て一緒にいた先生が「みんな男だから大丈夫だよ」と言ってくれた。本当にいいのかなと思いながらも何とか脱げた。次は体を洗い、いよいよお風呂に入ったが、すぐにあがってしまった。それはとても熱く感じたからである。その後、私は徐々にお風呂になれ、気持ちよく感じるようになった。皆といろんな話ができ、いろんな言葉を教えてもらって、私の日本語力もアップしていった。いつの間にか、「ロイは初めは跳びあがっていたのに、今はお風呂は日本人よりも長いね」といわれるようになった。本当にその通りで、今は温泉も大好きである。

  3.乗り物: 日本のすべての乗り物に冷暖房が整備されていること、そしてすべてがきちんと時間通りに動いていることに驚き、感心した。バングラデシュでは、最近は冷房の付いたバスもあるが、ほとんどにおいて扇風機があればいいほうである。また、「8時の汽車は何時にきますか」と聞かれるのは日常茶飯事である。しかし、日本では時間を守ることが最優先で、そのためにオーバースピードで走り、多くの死者を出してしまった事故が起こった時、とても悲しくなった。時間よりも、いや何よりも命を大事にして欲しい。

  4.自動券売機・自動販売機・洗濯機: どれも始めて見る物で、驚きの連発であった。こんな便利な物がいたるところにあり、生活水準の高さを実感した。中でも、洗濯機は印象深く、手洗いで洗濯に労力と時間を掛けて苦労している母に買ってあげれたらいいなあと思った。

  5.社会問題: 日本とバングラデシュで共通する社会問題がある。しかし、それは全く対照的なものである。日本は少子化社会、バングラデシュは子沢山社会である。日本のこの少子化の原因には子供を育てにくい環境があると思う。夫婦共働きのため、0歳から子供を保育園に入れるというケースは珍しくない。また、専業主婦の場合は、核家族化のため子育ての負担が大きく、母親が自分で生んだ子供を殺してしまうという信じがたいニュースを耳にすることもある。このような現実に胸がいつも痛くなり、「物質豊かな日本は心の豊かさを失っている」と感じる。それは、貧しいバングラデシュよりもずっと貧しい。私の家族の経済状態がよくなかった時、母が自分が食べずに私に食べさせていたことがあった。このような例は多くあり、それくらい皆子供を大事にしている。自分で自分の子供を殺すことはありえない。子供は宝であり、夫婦が力を合わせて育てていくべきである。しかし、日本の場合は、仕事が何よりも重視され、また必要以上に豊かさを求めるため、それができないかもしれない。また、子供を伸び伸びと逞しく育てるためには、夫婦の助け合いに加え、地域や社会の協力が必要である。しかし、その協力体制がほとんどできてないような気がする。子どもと一緒に買い物に行ったり、乗り物に乗ったりする時は、子供が騒ぐと人の迷惑になるから親がいつも緊張した状態にある。妻の友達が子供を連れて新幹線に乗った時のことだが、子供が笑っていたから「お客さんの迷惑になる」と言って別室に連れていかれたそうだ。また、賃貸アパートで、上の階の子供が騒ぐから下の階の人から苦情がくるとよく聞く。驚くことに、これは子供を持った同士の間でもある。親はそれなりの努力をしていると思うが、子供はやはり子供である。バングラデシュでは子供は騒ぐというのはごく当たり前のことで、大人はそれに合わせて行動するという認識である。この辺は日本人と全く異なる。二児の父親として思うが、少子化社会から脱出するためだけではなく、子供たちのためにも日本の大人たちにもっと広い視野、もっと広い心を持ってもらいたい。

  B.一人の視覚障害者として感じたもの: 視覚障害者にとって、日本は非常に住みやすい国だと感じた。それは以下のような環境が整備されているからである。

  1.生活しやすい環境: 視覚障害者の場合、一人歩きが大きな問題となる。日本に来て、視覚障害者が一人歩きできる環境がよく整っていると感じた。道路や駅のホームなどに設置されている点字ブロック(正式に視覚障害者誘導用ブロック)、大きな交差点にある音響式信号・手押し式信号などがその例である。駅の自動券売機やホームの上り下りの階段の手すりに、点字がつけてあるのを触れて、感動した。これに加えて、京都や東京のような街では、声をかけてくれる人が多いことも私のような視覚障害者にとって非常にありがたい。ある日、私は京都駅で人に踏まれて白杖を折られてしまったことがあった。折れた白杖で歩いているのを見て、別の方が「私の傘をあげますから、それで歩いてください」といってくれた。私は結局断ったが、その優しい声掛けには感謝の気持ちでいっぱいになった。

  2.学習しやすい環境: 高校までの点字の教科書などがそろっていたり、点字図書や録音図書があったりして、母国と比較できないくらい学習環境は充実している。私は今仏教大学通信教育部の英米学科で勉強しているが、多くのボランティアさんのおかげで膨大な量のテキストを点訳していただいている。そのおかげで勉強も順調に進んでいる。このような環境にいられて幸せである。

  3.スポーツができる環境: 日本には視覚障害者用に特別なルールを設けて考え出されたスポーツがいくつかある。その中で、私は盲人野球、盲人バレー、ゴールボールなどのスポーツと出合った。スポーツ好きな私にとって、これは何よりの楽しみだった。しかし、私は野球が全く初めてだったし、日本語も分からなかったので、ルールを理解するのに苦労した。そんな私を何とか野球を理解させようと先生方が一生懸命指導をしてくださった。当時、私は非常に疑問に感じていたことがある。それは、私がバッターボックスに立ったら、ピッチャーが3回投げたらアウトになってしまうのに対し、他の人の場合は、5回6回投げてもアウトにならないことであった。心の中で、「おかしいなあ」と思っていた。当時の私は、ストライク・ボールの意味も分からず、何でも振っていたのだ。今になって考えると、自分でも笑ってしまう。日本に来て、もう一つのスポーツとも出合った。それはマラソンである。今まで、100メートル以上走ったことの無かった私は、盲学校の体育の授業で、2キロ走ってくださいと言われた。私は驚き、不安になった。仕方なく、走ることにした。大変きつかったけれど、何とか走れた。毎回走るにつれ、きつさが和らいできた。その後、全国身体障害者スポーツ大会に出場することになり、練習に励んだ。大会が終わってから、もっと長く走りたい気持ちが沸いてきた。それから徐々に距離を延ばしていき、フルマラソンを走るようになった。今まで14回フルマラソンを走った。これからもできる限り走っていきたい。また、できれば母国を代表してパラリンピックに出場したい。

  4.職業に就きやすい環境: 日本では、昔から按摩・マッサージ・指圧、鍼、灸によって多くの視覚障害者が職業的自立を果たしてきた。世界中から見て、それは立派なものである。母国ではこのような職業がなく、例え大学を出ていても、就職できない人が多い。私は日本に来て、このすばらしい伝統的な技術を学ぶことができた。将来はこの技術を母国に紹介し、視覚障害者の自立に繋げていきたい。そのために2005年にNPO法人バングラデシュ視覚障害者支援教会ショプノを設立し、その夢の実現に向けて活動している。

  おわりに: このように私は日本に来て戸惑いながらも多くの人々の優しさに支えられていろんなハンディーを乗り越えることができた。ダッカ大学の先生がおっしゃっていた通りに日本人は親切だった。この親切さや優しさがあったからこそ今の私がいる。心から感謝するとともに、日本は素晴らしい国であると言い続けたい。しかし、今の日本社会では、自殺や虐め、虐待などの問題が散乱し、この素晴らしさに影を落としている。だから、皆にもう一度夢や希望を持って、その影を吹っ飛ばしてもらいたい。そして、いつでも素晴らしい日本でいて欲しい。



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