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「私の小さな日本旅行 」
Paola ANTONELLI (イタリア)

今年7月中旬、会社から休暇を頂いて旅行に出ました。旅行の行き先は、鹿児島でした。

目的は、憧れの火山島・桜島で一泊することでした。活火山を実際に近くで見て、火山活動という自然のパワーを感じたときは、想像以上の感動を受けましたが、その後、ついでだから「鹿児島の町から極めて近いから、行ってみよう」という感じで訪れた「知覧」で過ごした一日の方が、思いもよらない貴重な体験になってしまいました。

私は、お金と時間と心に余裕がある時には、数日間でも旅行に出ようと心がけています。様々な出会い。ほんの少しの間で交わされた言葉。旅先で起こった出来事は一般に日常生活から切り離して考える傾向があります。でも、私にとっては、その出来事は単なる旅行の懐かしい思い出ではなく、日本をより理解するための貴重なヒントでもあると思います。

日本を旅行する時、私はとても幸せだと感じます。旅行をすることが大好きな私ですが、日本国内を旅行することと、日本以外の国を旅行することは別のことであると思います。その理由は、日本を旅行することによって、大学生の時に学んだ日本に関してのことをようやく自分の目で見て、まるでフィールドワークのような感じで確かめることが出来るからです。

私は母が日本人で父がイタリア人のハーフですが、生まれ育ちはイタリアで、国籍はイタリア人。幼い時の短い滞在期間を除いて、22歳まではイタリアで過ごしました。22歳の夏に、人生で初めて家族と離れて日本人のおじさんとおばさんの家で3カ月間過ごすことが出来ました。その後イタリアに戻り、27歳の時に奨学金でまた日本に来ることが出来ました。それ以来まもなく8年も経ちますが、生まれ育ちがイタリアであることから、当然ですが、私はイタリア文化の影響を強く受けている気がしております。その半面、子供の頃から感じていることですが、気質が母に良く似ていることから、感性の面では、自分はとても日本に合うという気もしております。

このため、日本への旅行とは、他の国を旅行する時と違って、特別な意味を持っていると感じます。

いつも旅行の際の宿泊先は、出来る限り和風な旅館にしようと思っています。その理由としては、「旅館」=日本、和室、和食、「ホテル」=西洋、洋室、洋食のような区別意識より、家族で経営するような、小さな旅館に泊まることでしか体験できない、日本固有の家族的な「おもてなし」から感じとれる「温もり」や、時には今日まで生き残っている日本の昔ながらの「暖かい家族的な」雰囲気の方が私には合うような気がしているからです。

今年の春に、一年ぶりで日本を訪れた姉と二人で、島根県の松江市を旅行した際に宿泊した旅館は、私が今まで心で思っていた、まさに日本らしい「おもてなし」そのものでした。宿の人たちの日常あまり見慣れていない優しさには、私も姉もびっくりするよりほかはありませんでした。

約束通り旅館に着く時間を連絡するために、旅館のご主人に電話をかけた時、こちらは期待してもいないしお願いもしていないのに、というよりお願いできることだとはまったく考えてもいませんでしたが、電話に出た宿のご主人は「直ぐに迎えに参ります」と言って、私たちがいる場所を確かめたのです。あまりにもためらわずに、自発的な意思に聞こえたその優しい言葉に私も姉もびっくりしました。

松江は周辺に何もないような、小さな村ではなく、むしろ島根県庁所在地ですし、名の知れた観光地でもありますので、タクシーもバスもあらゆる交通手段が備わっている都会です。この旅館は町の人達に良く知られている神社の前にありますので、誰かに神社までの行き先を尋ねれば、それほど問題なしに辿りつけるはずだと思っておりました。初めて訪れた見知らぬ旅館の主人の行動は、イタリアの町では一般的に考えられないことですので、私たちにはとても優しく感動的に見えました。

当日味わった旅館での家庭料理も、明らかに宿泊料から考えれば実に立派な夕食でした。そして、そこに加わった食べ物の説明や、シンプルな言葉で交わされたお話は、何よりも印象的でした。

今は健康の理由で飛行機に乗ることができない旅館の主人は、若いうちにヨーロッパに行けばよかったと後悔していました。しかし、ずっと延期して、今となっては実現できなくなったヨーロッパへの旅は、自分が経営する旅館でヨーロッパ人をもてなすことによって、違う形で実現しているように私には感じられました。

ところで、もし私が日本のことを知らない外国人に、日本を象徴する一つのものだけを選んで、紹介するとしたら、折り紙で作り上げられた「折り鶴」にするでしょう。

一見したところ、紙である「弱い」素材で出来ていることから、それほどの価値のない、幼稚な物に見えるかもしれません。しかし、紙=価値がないというこだわりを捨てて、奥深く観察しようとすると、むしろ力強い、美しさそのものに見えませんか?

私はその美しさをより意識するのは、折り鶴を実際に折ってみる時です。初めから最後まで各線を丁寧に折らないと、出来上がりがずれてしまいます。少しでもごまかそうとすると、完成した時にその些細なごまかしが明らかになってしまいます。折り鶴は折り紙の初心者向け作品であっても、きれいな作品を完成させるにはある程度の努力の積み重ねが必要ではないでしょうか。

一枚の折り鶴が力強く見えるとしたら、千羽鶴はなんとパワフルで素敵に見えるでしょう。私はその鶴を繋げようという発想自体がとても好きなので、面白くて興味深く思います。そして、飾られている千羽鶴を発見しますと、その場所に対して私の気持ちが変わる気がします。飾られた千羽鶴は、まるで道路標識のように、「このエリアは人々が大切にしている場所ですから、特別な配慮をお願いします」というような、注意が書いてあるように私は思わず感じてしまいます。

松江市の旅館の玄関には、綺麗な千羽鶴が飾ってありました。初めて訪れた知覧の「特攻平和会館」にも千羽鶴が多数飾られておりました。知覧の「特攻平和会館」を訪れた時、私の人生で初めて公の場で涙が溢れました。でも、あまりにも当たり前みたいにその気持ちを感じたため、涙を止めようともしませんでした。思わず周りを見たら、涙を流している人がたくさんいることに気付きました。

とても暗い気持ちになっている時に千羽鶴がいくつか飾ってある部屋に入りました。その瞬間に千羽鶴が特攻一人一人のつかの間の人生を象徴しているかのように見え、それと同時に、その千羽鶴を折った多くの人達が紙を折る際に、折り目の各線に込めた優しさと力強さを感じました。

そして、数分前に「特攻平和会館」のガイドの方が語った言葉が心に響きました。
「良く批判もされますが、私は特攻隊を美化するのではなく、実際に起きたことをできるだけ詳しく説明したいだけです。」

このことを、ガイドさんが一番伝えたかったことかもしれません。どのような辛い過去に起きてしまった出来事も、それを良く理解し、受け止めて、さらに多くの人達に語り継がれていくことは、後世の人たちの義務であり、一人一人に与えられた使命かもしれません。そして、もっとも大切なのは、戦争で亡くなった一人一人の犠牲者のためにも、あらためて人生の素晴らしさを意識し、それを全うすることではないですか。

戦争は二度と行ってはいけません!
鶴たちは、この大切な教えを密かに訴えようとしているように見えました。

日本人の親友に千羽鶴の話をしていた時、友達が小学校の時に千羽鶴をもらったことを教えてくれました。それは彼女が体調を崩し、学校を休んでいた時でした。同級生が友達の回復を願い、作り上げたそうです。深刻でもない風邪で学校を休んでいた友達に、千羽鶴を贈ることは、なんて純粋な行為でしょう!このお話を聴いて、私は親友を一瞬とても羨ましく思いました。

いろいろな世界の大都市で起きている共通の問題かもしれませんが、東京に住んでみると、日本を覆っている「物質主義」のイメージを、どうしても強く感じてしまいます。次々に様々な物が生産されていますが、わずかものだけヒットして、一時的に脚光を浴びたあげく、わずかな間にその人気も消えてしまい、他のものに替わって行きます。大衆の「ニーズ」を読み取る能力と、それを実現させるスピードだけが何よりも要求されています。時折、そのスピードに対応するため、他のことを犠牲にしてしまうことから、色々な社会的な矛盾が生まれる破目になります。

確かに、多くの日本人は外国人から見たら、働き者には違いありません。しかし、それは、果てしない物質主義、豊かさのみで片づけるとしたら、その結果は近い将来に大きな誤算を生じることになるかもしれません。

利益はその結果のみであって、むしろ結果として利益を生む原動力は、昔から続く日本人独特の勤勉さ、所属するグループ(会社であれ、地域であれ、家族であれ)に対しての責任感と誇り、そして相手の方に対する心遣いではないでしょうか。日本の都道府県は、それぞれにとても個性的だと思います。食文化から伝統工芸まで、その個性がとても大切に守られている気がします。当然、地方離れ、地方の町の過疎化のような、日本の将来を考えれば実に深刻と思える課題がニュースでよく取り上げられていますが、いまだに解決せずにたくさん残っています。

しかし、それだからといってマイナスの点が多いということではないと思います。むしろ、自分の町を守ろう、元気にしようという、いわゆる町起こし、村起こしといわれるような運動が沢山あって、その努力がその地域を活性化させ、その結果の一部として「観光」という産業を発展させています。

産業の発展から生まれた豊かさは別として、それを可能にする原動力は、住んでいる地域に対しての誇り、市民としての責任感から生まれているのではないでしょうか。

単純に比べてはいけないのでしょうが、私の母国イタリアでは不景気を理由として、個人の豊かさのみに執着して、自分の地域に対しての誇りが薄れてきている気がします。その結果、観光という産業も次第に弱まってきています。数年前から日本の主な新聞紙上にも取り上げられておりますが、最近の日本人は、イタリア観光より、旅行をより気楽に楽しむことができるドイツ、フランスを目的地として選ぶ傾向にあるようです。

色々な不便さ、不安という理由でイタリア人でさえイタリア国内旅行よりも、外国でバカンスを過ごしたいと思っている人たちが年々増えて続けています。

私がこれから日本の各地を旅する回数はどれぐらいあるかしら。場合によったら両手で数えられる回数になってしまうのでしょうか。今まで旅先で出会った、親切で心に残る人達に、何らかの形で恩返しできる時は来るかしら。

お世話になった人に直接に恩返しできるチャンスがなかったとしても、松江の旅館の主人がまるで私に教えるために見せてくださったような、優しくて、明るくてオープンな心を持てるように、いつも心がけるようにしたいと思います。

以前にある知人が私に言いました。
「場所は単なる場所であり、それを素敵なところにするのは、その場所で出会った人なのですよ」。
本当にその通りだと思います。

毎回スタートする旅は、その場所の美しい風景の思い出よりも、そこで出会った人たちとの沢山の思い出に包まれて、幕を閉じるような気がしております。

日本で過ごした8年間の「旅行」を振り返えると、小さな「旅行」に限らず、その都度お会いした人達との様々な温もりを味わいながら、貴重な体験をしてきました。それは知らず知らず、夢で見るような理想の旅行だったのかもしれません。

これからの私を待っている旅行のためにも、この8年間の夢のような旅行での思い出を大切にしたい気持ちでいっぱいです。



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