一般財団法人 京都国際文化協会(Kyoto Intemational Cultural Association)
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「『オバアチャン』という生き方 」
Jing WANG (China)

 もし若い貴女が「おばあちゃんみたい」と言われたら、がっかりするだろう。大学時代に日本人の先生が男女の言葉遣いの違いを教える授業で練習に用いた、次のような悪魔と天使の会話がずっと頭に残っている。
  悪魔:「君は今年いくつになるんだい?」
  天使:「二十歳になるのよ。」
  悪魔:「去年もそうだったじゃない?」
  天使:「そうよ、私はいつまでも若いのよ。」
  言語の授業ではあるが、かわいい天使はずっと若いままでいたいんだなと何気なく思った。その後、年齢を聞かれる度に、心のどこかでそれを思い出し、いつでも「二十歳です。」と若さをアピールするように答えていた。中国では直接おばあちゃんと呼ぶのは「年をとった」というイメージも少し含まれるが、敬愛の気持ちと親しさの現れである。一方、日本人におばあちゃんと呼ぶのは失礼なことで相手のお名前で呼ぶように、という日本人の先生からの教えもあり、日本語の「おばあちゃん」という言葉があまり好きではなかった。中国では違和感なく「おばあちゃん」と言えるが、日本でその言葉を使わざるを得ない場合は、頭の中で「オバアチャン」と変換して使っている。
  しかし、そのような私が日本で実際に「君はおばあちゃんみたい」と言われた際、がっかりするどころか、なぜかうれしいほどであった。なぜその矛盾が生まれたのか?自分の心を見つめ、その原因を探り出した。無限の愛で楽しい子供時代を過ごさせてくれた私のおばあちゃんの生きる姿と、社会に出てから出会えた無限の情熱を持つ日本のオバアチャンの生きる姿がほどよく輝かしいものであり、それぞれの生き方が今日までの私、そして今後の私の生きる道を導くものとなっているのである。


甘やかしてくれたおばあちゃん

  「孫は目に入れても痛くない」、これは一人っ子政策が実施されてからの中国において最も形象的な言葉であろう。一家の「小皇帝」とされる孫は、親以上におじいちゃんとおばあちゃんからむやみにかわいがられるに違いない。私のおばあちゃんも例外ではなかった。おばあちゃんは私がまだ12歳の時に天国へ行ってしまったが、おばあちゃんがくれた無限の愛はずっと私のまわりで生き続けている。記憶の中のおばあちゃんは、休むことなく家事をしながら、姉と私の面倒をよく見てくれた。私にとって心の底まで温かくなる思い出は、お菓子好きの私におばあちゃんがいつもおいしい物を食べさせてくれていたことである。経済的な余裕がそれほどなかった時期であったからこそ、おいしいもので小さい子供の私にできる限りの楽しい生活をさせることを通して、心が豊かになるようにと期待していたのだろう。


  おととし、姉に赤ちゃんが生まれ、おばあちゃんとなった母は、昼間は一歩も離れず、夜は一緒に寝て、赤ちゃんを宝のようにかわいがっている。赤ちゃんが好きなものを食べさせ、しようとするいたずらは好きにさせるというような「甘やかし」をしているのである。このようなおばあちゃんとしての過ごし方は母だけではなく、中国では普通のことだと思う。孫に対する愛はただの「甘やかし」かもしれないが、孫にとっては心の中に深く刻まれる愛の記憶であり、心の底を一生温めていくエネルギーになっていくに違いない。「ありがとう、甘やかしてくれたおばあちゃん!」


絶えず挑む日本のオバアチャン
  日本のオバアチャンたちとの出会いに恵まれたのは、私が大学を卒業してからのことである。当時、私は四川省の旅行会社に勤め、日本人観光者を案内する観光ガイドをしていた。四川省に五つもある世界遺産の中で、特に多くの日本人をひきつけているのが、美しい自然風景が魅力の九寨溝、黄龍、四姑娘山である。いずれも標高が2000m以上あるため、それらの場所を訪れる60代以上の中国人はほとんどいないが、それとは対照的に、日本人観光者の年齢層はかなり高く、しかも女性が多いのが特徴的である。帽子をかぶり、ステッキを持ち、重そうな荷物を背負っている60~80代をよく見かける。


  標高3000~3600mに広がる黄龍の入り口にはカゴのサービスがある。「都会人」である観光者は本当に登れないのか、それとも登ろうとしないのか、若い人も男女を問わずカゴを利用することが多い。それを見た中国人はだれもなんとも思わないが、逆に不思議に思うのは、カゴに乗らずに自分の足で登っていく年配の日本人のことである。カゴを担ぐ人が日本人だと思われる年配者を見ると、片言の日本語で一生懸命「カゴ、カゴ!」と声をかけるが、その返事は「ノー!」である。カゴを利用しない中国人の若者が、荷物も持たず酸素ボンベ片手に苦しそうに登っている脇で、年配の日本人たちは写真を撮ったり、時にはスケッチを描いたりしながら、「余裕」があるようにしている。私が日本人観光者を案内する度に中国人からよく「この方々は何歳ですか?」と聞かれるが、それに答えると、「我々はあなた方に学ぶべきです。」と、親指を立てて私のお客さんを絶賛する。


  標高が高い場所でも自分の足で登る日本人のオバアチャン、その精神は同じ場所を訪れる中国人観光者を敬服させ、標高5000m登頂という私の「人生の記録」を後押ししてくれた。2005年7月のことである。私は70代が中心の大姑娘山登頂ツアーの通訳をすることになった。四泊におよぶテント生活に慣れず、深刻な睡眠不足と軽い高山病だった私は、最後の登頂を断念したいと言い出したが、皆に励まされ挑戦することを決意した。あるオバアチャンはパーティーの後方にいた私のところにわざわざ来て、「私の後ろについて一緒に行こう。」と、少し登っては後ろの私を見て、時には手を差し出して引っ張ってくれた。休憩の時には、最高齢の82歳のオバアチャンも最年少の私に「がんばっているね。もう一息だよ。」と声をかけてくれた。メンバーの一番最後に頂上に立った瞬間、みんなが拍手してくれ、うれし涙がこぼれてきた。「ありがとう、ここまで連れて来てくれた日本のみなさま!」


  このように、私は仕事を通してたくさんの日本のオバアチャンと出会うことができ、そこから自己の限界に挑み、他人と一緒に喜びを共有する楽しさをしみじみ感じた。日本のオバアチャンと接していく中で、日本留学への意思がより強くなり、仕事をはじめて3年後、留学生として日本に渡った。家族も親戚もいない外国での私費留学生活は決して楽ではないが、中国で出会った日本のオバアチャンとのいろいろな思い出や経験は心強い味方となり、今でも交流が続いているオバアチャンたちからはなにかとお世話になっている。さらに、オバアチャンたちの日常生活から楽しく勉強できる「哲学」を教えてもらい、今は「景色」を楽しみながら留学の「山」を登っているところである。


絶えず学ぶ日本のオバアチャン
  中国では公園や川沿いなどの公共の場所に年配者が多く見られる。一方、日本の公園には年配者の姿がほとんどないことに、中国人留学生も同感するであろう。日本の年配者、特に平均寿命が世界で一番長い日本のオバアチャンたちは何をしているのだろう。私の答えは、絶えず学んでいる、しかも学びの「哲学」をもっているということである。


  日本がアジアでいち早く近代化を図り、世界第二の経済大国にまで成長することができたのは、国民の勤勉が大きな要因の一つだと言われている。それは日本のオバアチャンの生活を見るとよく理解できるような気がした。主な駅の近くにある外国語教室、パソコン教室、陶芸教室などの様々な教室の中、市民センターのいろいろな学習活動の中、大学の市民向け講座の中、老人大学や高齢者大学の中…、学びに情熱を注ぐオバアチャンの姿はどこにでもある。私の身近でも定年退職してから一般の大学に通ったり、大学院で研究をしたりする人が少なくない。また、私がアルバイトで中国語を教えていた教室でも、オバアチャンの割合が多かった。「活到老学到老」(生きているうちに絶えず学ぶ)という中国の言葉の意味を、日本のオバアチャンが自分の行動で分かりやすく解釈してくれた。一生学び続けることは人生にとって大事なことである。しかし、そう言うのは簡単だが、20年ほども学生のままで勉強し続けている私にとって、勉強は仕事のように感じる。留学生としての勉強は特にそうである。一日でも早く卒業できるように、勉強の成果をとにかく急いでいる。このように自分にプレッシャーをかけながら、卒業という成果を望むあまりついつまずいてしまった時、つまずいても勉強は私の仕事だから成果を出さないといけないという思いに追われ、もともと日常生活を楽しんでいた心の余裕がなくなり、むなしさが溢れてきた時期があった。そんな状態から抜け出せないでいた私は、中国で親しくなったあるオバアチャンから食事に誘われた。そのオバアチャンは目を輝かせながら、最近中国語教室に通いはじめたことや、授業でどのように勉強しているのかの話をしてくれた。ちょうど勉強に疲れていた私は、中国を旅行する時は通訳がいるのに、なぜ今から中国語を勉強するのかと尋ねた。かえってきたのは、次に中国へ行く時にいつも世話になっている運転手に中国語で挨拶をしたいだけだという、意外と単純な目的であった。そして、授業中にいろいろ練習をさせられるのは疲れるが、発音を一つ覚えただけでも嬉しくて、中国語教室へ行くのが楽しみとなり、うまくなるように家に帰ってからも繰り返し練習しているそうだ。


なるほど。それぞれの「目標」を目指しての勉強とはいえ、オバアチャンは勉強の過程を楽しんでいるからこそ、ひとつひとつの小さな「成果」を積み上げていこうとした。それに対して私は「成果」ばかりに注目し、勉強の過程における楽しみを忘れてしまっていた。たとえ仕事のような勉強でも、楽しんでいれば目が輝き、心の余裕にもつながっていくのである。


  大阪で知り合い、月に一度ほど家に呼んでくれる70代後半のオバアチャンがいる。3月に訪れた時には雛人形が、5月には絹でできた菖蒲の花束が、6月にはアジサイの壁掛けが部屋に飾られていた。また、3月には桜の花びら柄のマフラーをいただき、4月には散らし寿司の作り方を教わった。オバアチャンは季節に密着した日本文化を自分の生活を通して私に見せてくれた。しかも、それだけではない。それらの飾り物とマフラーはすべてオバアチャンの手作りで、教室に通って学んだ作り方を自己流にアレンジした作品であり、作品になるまでは縫ったら解き、解いたら縫うということを繰り返してできたものであった。そして、満足のいく作品を作り上げるには、心を開いて空を見たり花を見たりして、自然からヒントをもらわなければできないということも教えてくれた。つまり、学び、試行錯誤、自然との「対話」というプロセスを経て「作品」ができあがるのである。


  しかも、作品は学びの「結果」ではない。オバアチャンは作品を愛情とともに相手に届け続けているのである。和風の縫いぐるみなどの小物から浴衣や着物まで私の好みに合わせて作ったり、笑顔を想像しながら面識もないネパールの子どもたちに髪飾りのリボンなど作ったり、オバアチャンは学びをスタートとして絶えず人に喜びを与え続け、その喜びからまた更なる作品が誕生していくのである。


オバアチャンのように
  成果は絶えず挑戦した後に現われる、成果ばかりを望むより過程を着実にこなす、余裕のある心で過程を楽しむ、成果は結果として終わらない、より良い成果は人の喜びから生まれる。これらは私が日本のオバアチャンから学んだ「哲学」である。その意味としては、知っていると言えば誰でも知っていることであろう。しかし、日常生活の中で無意識に自分の行動で示してくれたからこそ、私自身の状況と照らし合わせることができ、普通の生活の中でも生かすことができるのである。実際に、私は結果だけを過度に求めていたがゆえに心の余裕をなくしていた自分の勉強を見直し、楽しく前へと進むことができた。「ありがとう、人生の哲学を教えてくれた日本のオバアチャン!」


  今日までの私を支えてくれた日本のオバアチャンは、ほかにもまだまだたくさんいらっしゃる。週に1度の山登りを続けている方、古くなった着物の生地を再利用して洋服をつくる教室に通い続けている方、ボランティアとして外国人に日本語を教え続けている方、日本の家庭料理を味わってもらおうと留学生をよく家に呼んでいる方…いつでもどこでも人生を輝かせていく日本のオバアチャンたち。私がそこからいただいているのは、子供の時におばあちゃんから食べさせてもらったおいしいおやつのような、心の底を甘く温めてくれるものである。
  これからも日本のオバアチャンとの新しい出会いがあることを強く期待している。そして、オバアチャンから学び続けながら、子供時代におばあちゃんからもらったあの無限の愛情をほかの人に与えることができるような人生を歩んでいきたい。そう、私は「オバアチャンみたい」になりたいのであり、なろうとしているのである。「いつまでも二十歳」と言いつつも。



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