今から3年前のことです。縁があって中国の大連にある大学で教鞭を執られている日本人の教授に日本語を教わることになりました。この先生が僕にかけた最初の言葉を僕は未だにはっきりと覚えています。
「標準語を覚えるんか、それとも大阪弁を覚えるんか?」
僕は一瞬、自分の耳を疑いました。「この人は本当に日本人か?」。僕は中国語を流暢に操る日本人に舌を巻きながら、
「標準語と大阪弁ってどういう事ですか?」
と、今から思えば、幼稚すぎる言葉を横着にも言いました。
すると先生は
「標準語いうたら北京の言葉みたいなもんや。大阪弁いうたら、ここ大連の言葉があるやろう、それや!」と言いました。
中国では北京語という標準語のほかに、大連の方言というのもあります。中国では方言というと少なくとも300種類はあるそうです。中には「これが中国語?」というくらい、外国語にしか聞こえないものもあれば、大連の方言みたいに、ただ、アクセントの違いで標準語と区別されるものも少くないようです。ここで一つ言っておきますが、中国では北の方に行くにつれ、人情が厚くなるのはもちろん、言葉自体も人なつっこくなるとよく言われます。大連の言葉は北の方言の中でも、最も人なつっこい言葉の一つです。僕は別に北京語が嫌いなわけではないのですが、僕のようなO型の大連男子─日本で言えば九州男児というところでしょうか─には、大連の、あの情熱あふれる方言の方がぴったりきます。ゆえに、標準語である東京弁を覚えるより、情のある大阪弁を習ったほうがずっといいと僕は勝手に判断し、先生に「僕は大阪弁を習いたいと思います。よろしくお願い致します。」と言いました。
それから2年間にわたって、まさしく鬼の先生に大阪弁の地獄のような特訓を受けました。特訓と言っても、大阪弁の授業、プラス日本語での生活の毎日です。
「物を張り付けるの『はる』ってあるやろう、それを動詞の後につけたら敬語表現になるんや。」
「見てみい。血気盛んな子がおるやろ。あれは『やんちゃ』ちゅうねん。大連の言葉でお茶を飲む事と発音が一緒やろ。」
「『ありがとう』ちゅう日本語は大阪であんまり使わへんのや。もっと優しい言い方があんねん。それは『おおきに』いうんや。」
大阪弁の授業は、厳しかったけど、とても面白かったです。
さて、僕の恩師は大の大阪びいきです。そんな恩師に日本語を習った僕がなぜ留学先を大分に決めたか。それは、日本語のレッスンを受けていた時に見た「金八先生」のビデオに出演していた武田鉄矢をすごく好きになったからです。
教師として、時には学生の父として、笑いたいときには思いっきり笑い、泣きたいときは思いっきり泣く。そうした九州男児の人情の厚さ、人間の素朴さにすっかり惚れ込み、そして九州にも惚れ込んでしまったのです。それで、留学先を大分に決めたのです。
そして、今から1年4ヶ月前、日本にやってきました。始めて日本の土を踏んだ瞬間、「よっしゃ、この2年間で覚えた日本語を使ってみよ!」と思いました。その瞬間から、僕の日本においての、九州においての、大阪弁生活が始まりました。
入国の手続きをする時に、窓口の女性職員さんに「よろしゅう頼んまっさ」と言ったら、相手に不思議そうな顔で見られました。「えっ?もしかして、今、口にした日本語って、アクセント間違ったんだろうか」と思いました。最後に税関を出るときに、お世話になった男性係員さんに、「えろうすんまへん」と口にすると、その係員さんに45度の礼をされました。その時は、言葉では説明できないくらいの幸福感を感じました。一瞬、「よっしゃ、これでバッチシ、大阪弁を俺のもんにしたわ」という妄想を抱きました。
しかし、実際に大分で生活すると、大阪弁と標準語の違いは、アクセントどころか、言葉そのものが違うところも少なくないことがだんだん分かってきました。
先輩に、「勉強してはるんですか」と聞いたら、
「勉強はしているけれど、『はる』ってどういう意味?」と聞かれたり、
「なんやねん」と言うと、
「『何の屋根』ってどういう意味ですか?」とか、
「あかん」と言うと、
「開いてますよ」と返事されたり…。
「オイオイ、これは大阪弁ですよ。もう勘弁してくれ」という感じです。
でも、まあ同じ外人ですから、留学生が「大阪弁は分からない」というのは分からないことでもありません。しかし、こんなことがありました。
僕はさしみが苦手なんですが、日本人の友達になんでさしみを食べないのと聞かれた時に、
「さしみはハナから合わんかったんや」と答えると、
「どうして口からじゃなかったんですか? そうか、わさびがきいているかもしれませんから、また今度、わさび抜きで試してください」
後で分かったことですが、これは日本人の友達の冗談で、真剣に説明する僕の姿を面白がっていたのです。
でも、よくよく考えてみれば、誤解されるのは不思議でも何でもありません。関西が独自の文化を持っているように、九州も独自の文化を持っています。大阪弁を言って必ず相手に分かってもらえるとは限りませんし、すべて分かってもらう必要もないと思います。
「郷に入っては郷に従え」。日本に来た以上は、日本という社会に従わなければいけません。それには言葉がとても重要になってくると思います。単に標準語を覚えたら、それでいいとは思いませんし、大阪弁だけを覚えるとか、大分弁だけを覚えるとかも、よい策とは思えません。いろんな所に行って、いろんな日本人と接して、いろんな日本語を覚えて、日本語の通になる。これが僕の夢であり課題です。
こうして、いろんな試行錯誤のうちに、今年の四月に私は大阪外国語大学に入学することができました。したがって、私の生活環境もすっかり変わってしまい、ほんまもんの関西生活に馴染めるかどうかは私の目の前の課題となりました。そして、私の本格的な関西弁とのぶつかり合いが始まりましたし、自分なりに本当の関西人がいったいどういうものかを探ってきました。
まず、関西人の車事情を見てみましょう。第一に、大阪では停車線の手前に停車することはまずありません。信号待ちなどで先頭になった場合、車体の前半分は停車線から出して止めるように、みんなが心がけているようです。実際私の経験したことではないのですが、あまり間隔をあけて止まっていますと、後ろの車からパンチパーマのいかついニイちゃんが降りてきて怖い思いをする事もあるということですので、いつも気をつけています。かといって、横断歩道に掛かるほど前に止めてしまいますと、今度は歩行者の攻撃に遭います。かれらは、ボンネットをぼんぼん踏み鳴らして越えていきます。よく、大阪でボンネットがぼこぼこの車を見かけますが、あれは歩行者軍団の行進の跡かもしれません。大阪では、きっちり車体半分、というプロ級の車体感覚が必要とされます。次はスタートのときです。スタートはフライング気味にしているようです。交差する側の道路の信号が赤になったらすぐスタートするくらいのタイミングがベストみたいです。まず、二秒スタートが遅れると、後続車からクラクションの嵐を浴びます。さらに、スタートはトルクピークでクラッチミートしているようです。あまり大阪に慣れていない人は、できる限り車を使わないで、公共の交通手段を利用することをお勧めします。
つぎに、大阪人の歩く事情です。私の個人的な見方ですが、全国で、歩く速度が一番速いのが大阪人ではないかと思います。少なくとも、大阪の人は九州の人より、歩く速度ははるかに速いです。九州から大阪に出たばかりのときに、確かにこのけた外れのスピードに戸惑うことが多かったです。まさに、「流れ」といえる人の集団が、無秩序に交差し、時折接触事故や正面衝突を繰り返しながら移動しているわけで、慣れない私は、いつもなるべくこの混雑を避けるようにしています。混雑からやっと逃れたときには、精神的に「ぼろ雑巾」のようになってしまうこともしょっちゅうです。さて、そんなせっかちな街ですから、当然、ムーヴィング・ウォークやエスカレーターは決して楽をするためのものではありません。かれらは、基本的には「より速く移動するためのもの」かもしれません。大阪人は、これらを利用するときも決して歩みを止めません。したがって、私はいつも邪魔にならないように配慮しています。この間、どっかの仲良しグループが横いっぱいになって流れをせき止めたらしくて、背後から、
「おらあ、どかんかい、ダボォ」と怖いニイちゃんにお叱りを受けた場面を見たことがあります。もちろん、ムーヴィング・ウォークやエスカレーターを歩いたからといって、目的地につくまでにかかる時間は、そう大差ないのも事実ですが、しかし、これは理屈ではありません。気分の問題のようです。大阪人は、いかなるときもスリルとスピードを求める、という本能があるようです。ムーヴィング・ウォークだからといって歩みを止めてしまうことは、その本能が許しません。郷に入っては…ということです。我慢して倣いましょう。
梅田駅前に大きい横断歩道が一つあります。一見なんの変哲もない横断歩道ですが、この横断歩道に、大阪人の特徴的な習性が隠されています。歩道の端に歩行者用の信号の上のところに「10」という数字がありますが、実はこの数字、「あと10秒で信号が青に変わりますから、それまでもう少し待っていてください」という表示で、三十秒からカウントダウンされるようになっているようです。大阪人はいつも横断歩道を渡るとき、大幅にフライングスタートして非常に危険ですので、見かねたおえらいさんが、「あと何秒で信号が変わるか示してやれば、信号を守るようになるやろ」と思って設置したのですが、結果は、「フライングのための目安」にしかなりませんでした。歩行者たちは「10」の表示が出たときにはすでにスタートを切るようになってしまったのです。かれらの考えは、「事故におうて痛い目えに遭うんはわしなんやから、ホオッといてくれや」というものだそうです。大阪人はハタからせっかちに見えるくらいがマイペースなのです。どんなことがあろうと、外的要因でそれを変えることはありません。えらいさんもなんて空しいことをしてしまったのだろう、なんて不毛なことに金を使ってしまったのだろう、とつくづく思います。
日本が好きですから、日本に来ました。関西弁が好きですから、関西弁を習いました。関西が好きですから、大阪に来ました。大阪に来て、最初は本当に取っ付きにくかったのですが、大阪人の強烈なボケと鋭いツッコミでおもてなしされて、本当に戸惑うこともありました。しかし、実際大阪人と付き合い、関西弁だけではなく、大阪の人間のせっかちなところも、大阪の人間のお茶目でかわいいところも、よくわかるようになりました。ほんまのとこ、大阪人っちゅうのんは非常にナイーブでさびしがりなんです。いつも誰かといっしょにワイワイやってないことには、さびしくてしょうがありません。私の個人的な意見ですが、大阪の人間は、泳ぐのを止めたら呼吸ができんようになって死んでしまう鮫と同じで、長い間一人で黙っていたら、死んでしまうかもしれません。
関西弁というのは、名古屋弁の「がや」とか広島弁の「じゃけん」とかと同じように、言葉尻が汚く、下品だという声が聞こえます。しかも語調が強いので、他の地方の人からみると、話し掛けられただけで怒られているような印象を持ってしまうようで、まだまだ世間の評判がよくないところもあります。けれど、私は大阪弁が好きです。あの大阪弁から溢れ出す大阪人の人間臭さ、やさしさ、思い入れ、効率を超えた熱中と工夫が好きです。関西に惚れてよかったです。関西弁を学んでよかったです。大阪人と付き合ってよかったです。
やっぱ大阪が好きやねん! |