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「日本美術における時間と空間―絵巻と建築を中心として」
朱 琳 (中国)

 今日、テレビやビデオ、映画などの映像メディアが圧倒的に流行している。そのため、「活字離れ」という現象を心配している人が増えているようである。しかし、逆に見れば、場合によっては、映像メディアは、感覚的かつ直接的に内容を捉えることができるため、文字よりもより有効な伝達手段であろう。
  特に、今日、日本の漫画やアニメーションが世界的にもてはやされているが、それは何も現代特有の現象とは限らないように思われる。12世紀に花開いた絵巻物にそのルーツが見られるであろう。映画監督高畑勲の言葉を借りて言えば、絵巻はまさに「十二世紀のアニメーション」である。日本人は昔から物語を絵とともに楽しみ、絵を通じて物語を理解することを好んだようである。テレビも映画もなかった時代に、物語絵画を見ることは大きな楽しみであった。物語を巻物形式の絵画に表すことは世界各地で行われているが、それを一つの高度な芸術様式にまで高めたという点で日本の絵巻は美術史上、特異な地位を占めていると言えよう。とりわけ中世には素晴らしい名作が続出している。『源氏物語絵巻』『信貴山縁起絵巻』『伴大納言絵巻』『鳥獣人物戯画』のいわゆる四大絵巻は今でも人々に愛され、人気の高いものである。
  絵巻物は文学・書・絵画の三者がうまく融合し、互いに補い合う総合的な芸術作品であると言えよう。と同時に、絵巻物も時代を映すとも言うべき重要な歴史資料であるから、様々な接近の方法を試みる必要が大いにあると思われる。その中、絵巻の時間と空間の表し方に注目し、日本人の趣向や美意識のあり方をさぐるのが有効なアプローチの一つだろうと思う。現在知られている絵巻が、物語という時間芸術を、絵画という空間芸術の形式を借りて表現するためのさまざまな工夫を提示してくれている。

1、絵巻の形式に見る時間と空間
  絵巻の形式そのものは、中国の画巻に由来するものであるが、12世紀の日本の絵巻はそれを本家の思いもよらない時間・空間の表現の手段として文字通り「展開」させた。中国では一度に全部を広げて全図を見るのが本質的な鑑賞法であるのに対して、日本では絵巻を少しずつ巻き広げつつ見るのが普通である。そのため、中国の画巻よりも日本の絵巻のほうが時間表現へのこだわりを強く感じられる。まさに奥平英雄が指摘しているように、「絵巻を見るには、右から左へと視線を移して見ること、俯瞰の姿勢で見ること、そして両手の間に繰り広げる画面は60・前後が適当であること、この三つが前提条件といえる」。絵巻は床や見台に置き、肩幅ほど開き、上からかがみこんで見ながら、左から引き出しては右手で終わった部分を巻き取るということを繰り返し、物語を理解していくものである。
  絵巻を右から左へと繰り広げていくのに従い、様々な場面が移り変わっていくことこそ、その鑑賞の面白さであろう。また、左手から現れ、右手の中にしまい込まれる画面、そしてその画面に込められた絵巻の時間表現はストーリー展開のための工夫であり、面白いところでもあるように思われる。右から左への方向性を示しつつ、すでに巻き取られた右側(見終わった画面)は過去、目の前の絵が現在、そしてこれから開かれる左手の中(まだ見えない画面)に未来がある。
  したがって、ある意味で、絵巻は時間的経過のある物語を絵画化したものであり、時間芸術と空間芸術の融合したものであると言える。とりわけ、比較的長い画面に描き続けられた連続式構図の代表作―『信貴山縁起』は人目を奪うのである。『信貴山縁起』の時間表現は、画面を右から左へ順番に展開することによって得られる自然な時間経過のほか、一つの建物の部屋を分けて、幾つかの場面を描いたり、一つの背景の中に同じ人物を繰り返し描くことによって物語を展開するといった手法である。そして、この『信貴山縁起』に用いられた時間表現は、極端な言い方をするならば、絵巻の時間表現の可能性のすべてを出し尽くしたとさえ言えよう。もちろん、これ以降の絵巻が、すべて『信貴山縁起』を手本にして作られたというのではなく、それまでに用いられていた手法がそれぞれの絵巻の中に取り入れられたということになるのであるが、『信貴山縁起』はそれを最大限に利用し、緩急自在な物語の展開を実現したと言える。
  要するに、日本の絵巻は時間・空間の表現手段として独特なスタイルを確立し、その後も脈々と受け継がれてきた。例えば、初期風俗画、黄表紙本、絵本、浮世絵、紙芝居、マンガ、アニメーションなどがそれである。

2、絵巻の画面に見る時間と空間
  『源氏物語絵巻』を見る時、垣間見場面が頻出することに気が付いた。「垣間見」という言葉は、すでに「物語のいできはじめの親なる竹取物語」に記されている。垣間見は本来隙間から覗き見ることを意味していた。したがって、垣間見場面を絵画化する場合、必ず何か空間を仕切るものを置かなければならない。絵巻には、御簾や几帳、屏風、襖、障子などの調度が多く描かれているようである。これらの調度はただ単に身の回りの道具として描かれているのか、あるいは特定の意味を持って描かれているのであろうか。
  絵巻物にも見られるように、日本の場合、内と外を明確に遮断するような建具をとりつけるのではなく、形ばかりに仕切り、内と外が対話できるような曖昧な空間をつくるのが普通である。これは重要な空間表現である。まさに「垣間見」という言葉が示しているように、物の透き間を通して、外から内部を覗き見ることもできれば、内部から外を見ることもできる。いわば「二重の垣間見」である。それは、古代の上流貴族の女性は親しくない男性に顔を見られてはならないというタブーにかかわっているとされる。例えば、『源氏物語』若菜上には、女三宮と柏木との二人の宿命的な出会いが描かれている。満開の桜花の下での蹴鞠の場面を垣間見る主体であった女三宮の姿が、逆に唐猫の首に結ばれた紐により偶然に簾が引き上げられたため、柏木の目に晒され、見られる対象に転化してしまったことになる。その場合、簾を境界の装置として重要視すべきであろう。
  また、『源氏物語絵巻』現存諸図の中でもっとも人目をひく華やかな美しさがあり、よく関連書物の表紙を飾る竹河第二図を見てみよう。絵画化した場面は、春の夕暮れ、玉鬘邸で、夕霧の息子蔵人少将が、廊の戸口から御簾越しに中庭を隔てて碁を打つ美しい姉妹を垣間見るものである。姉君の顔は御簾で隠し、妹君の方は後姿に描き、どちらもその美しい顔を鑑賞者に見せようとはしない。御簾という調度を通じて、姉妹の美しさを読み手の自由勝手な想像に任せようとしたのであろう。
  そして、恋の歌を多く収めている『万葉集』の中に、「君待つと わが恋ひ居れば わが屋戸の 簾うごかし 秋の風吹く」(額田王)という歌がある。この歌は簾という道具により、恋の微妙な心情を生き生きと描き出している。時は秋、一人の女性がある男性の訪れを待っている。たぶん女性は朝からそのことに思いが向かうであろう。その思いの中で、周りの事柄に女の心は敏感に反応する。簾を軽やかに揺らしながら部屋の中に風が吹き込むことにも思いが湧いてくる。
  簾や透垣などは、ある意味で、まるで一本の線のように内と外を分かつ、装飾的な意味しかもたない境界の象徴性の高い記号に過ぎない。この「区切りながらつなげる」、「つなげながら区切る」空間の存在も日本文化の一つの特色であろう。
  こういった特徴は内側の人物と外側の人物の様子を同時に描き出す絵巻の空間表現と直接かかわっているように思われる。それは、屋根や天井を取り除き、屋内を斜め上から俯瞰できる、いわば「吹抜屋台」の構図法である。それは、見せたい部分を見える部分として描き、複数の視線を可能にし、見る主体と見られる対象との共存の垣間見の構図を実現するので、より興味深いものが伝わってくる。

 一方、絵巻の環境表現として、最も多く見られるものは四季表現である。これは重要な時間表現である。屏風などに山水や花鳥などの自然風景が描かれている。古代、貴族たちは、自然風景を屏風や障子、几帳などに描くことにより、観念の中で外界の大自然、いわば「小宇宙」を作りあげた。そのため、外に出かけず、目の前の絵を見ながら、自然に一歩近づき、四季の移り変わりを感じ取ることができるのである。室内にいながらにして外界の自然とつらなっているであろう。それは平安貴族の住宅様式――寝殿造の成立とかかわるばかりでなく、当時の日本人の趣向をも表しているように思われる。この点は、絵巻物に描いてある住宅の室内装飾を見ればすぐわかると思う。日本人は古くから自然に対して強い愛着を抱き、自然に対する感受性が豊かで繊細なため、いつまでも自然を生かし、自然に溶け込むことに努めている。美しい自然に恵まれ、しかも四季折々に微妙に移り変わる風土との共存により培われてきた日本人の独自の自然観と美意識も、ここから読み取れるのではないであろうか。
  要するに、四季感を描き込むということは、絵巻にとっては本質的なものであり、環境表現であると同時に時間表現として最も効果的に画面に作用していると言える。

3、日本の建築に見る時間と空間
  日本文化の独自性とは様々な異文明を時間の糸に従い、積層させる集積回路のような存在である、という見方がある。日本の建築もまた、こうした時間の糸によって構築されているのではないであろうか。
  中世の寺院建築には、古代以来の伝統を受け継ぐ和様(興福寺北円堂が代表例)、鎌倉初頭の東大寺南大門の再建に際して用いられた大仏様(天竺様)、及び禅宗の移入に伴う禅宗様(唐様)の三態があるとされる。その後、和様を基礎として大仏様と禅宗様を取り入れた折衷様が生み出された。鎌倉-室町時代の建築の重要な一面に折衷という性格がある。金閣・銀閣のような楼閣建築はまさしくこの折衷の産物であり、時間を積層させたデザインであると言える。
  金閣寺は寝殿造の上に和様、そして禅様式をのっけた構成になっている。具体的にいえば、初層は寝殿造風の「法水院」であり、二層は和様(内部の形式は和様であるが、持仏堂の軒廻りと細部には禅宗様を取り入れたようだという)の「潮音洞」である。三層は「究竟頂」と言い、元来は舎利を安置し、また阿弥陀仏を祀る仏堂であり、禅宗様の建築である。つまり、和様の上に禅宗様を積み上げ、住宅の上に寺院建築をのせた構成である。
  銀閣寺は二層の楼閣である。初層は「心空殿」という住宅風であるが、二層は「潮音閣」という観音殿で禅宗様である。
  これらはともに過去・現在・未来の時間の糸を、垂直の空間構造に置き換えた例であると言えよう。

 総じていえば、絵巻や建築は日本美術における時間と空間の表現において、独自な展開を遂げ、独特な特徴をつくりあげたと思う。これこそ日本美の真髄であると思う。


参考文献
『日本絵巻物大成』中央公論社、1977~79年
「世界に応える日本文化の特質」『芸術新潮』(創刊500号記念大特集)、1991年
並木誠士・森理恵編『日本美術史』昭和堂、1998年
若杉準治編『絵巻物の鑑賞基礎知識』至文堂、1995年




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